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「カボチャの冒険」 五十嵐大介(コミック) 


犬も猫も大好きなのですが、猫は野良猫との距離感が一番好きです。
あの飄々と、だけどちゃっかり人と沿って暮らしている姿。
道を悠々歩いているところ、こちらに全く気づいていない油断した姿。
舌を短く鳴らした後、怪訝そうに辺りを見回すも、見当違いの瞬間。
気づいた瞬間の一瞬の見つめ合いと、「チッ」といった風情で去っていく姿。
うーん、全部好き。

巷に猫の本がたくさん出ていますね。
大好きですよ、愛でて楽しめる写真集とかも好き。
作者と飼い猫のラブラブ生活も面白くて好き。
だけど、このコミックは一味違います。
作者と猫の間には愛と強い絆がありつつも、猫さん野放し状態。
いや、野放しって言うとちょっと語弊があるかな。
山間の長閑な村に自由気ままに遊んできては、作者に甘える猫さん。
DASH村の北登みたいなものかなぁ。
普段当たり前のようにエアコンをつけて、スーパーで買い物をして、時には出来合いの冷凍食品に頼ったりしている生活をしていますが、作者が時折覗かせる農村での暮らし方はどこかハッとさせる知恵に満ちていたり、言葉に表せない大切な物が溢れているような気がするんですね。
電気に溢れた世界に曖昧に暮らす中で鈍感になってしまった感覚が、不意に呼び起こされるというか。
季節感とか、空気の匂いとか、命の営みとか。
まぁ、内容はそんなにごてごてしているわけでなくて、あくまでカボチャ(猫の名前)が可愛いということに尽きるのですが!
猫と暮らすのならこういう暮らし方が理想だなぁ。
馴れ合うのでなく、お互い生活の営みをしながら、だけども寄り添っている、そんな生活。
それは他の飼い猫さんもそうかもしれないけれど、確かに違う一線を感じるのも事実。
作者さんの猫の見方、描き方も、単に可愛いだけとは感じられないし。
(野鳥を狩って食べるシーンとか、日常のワンシーンとしてすごくリアルに感じました)
うーん。
あ、あとですね。
ここに出てくる食べ物が、手作りの料理が、めちゃくちゃ……めちゃくちゃおいしそうなんですよ!
じゅるり。
猫を飼っている方にも飼っていない方にも、結構楽しめるんじゃないかなぁ。

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「きみに読む物語」 監督/ニック・カサヴェテス 


弾けるような若い恋は見ているだけでそのみずみずしさに触れるよう。
恋の始まりはいつもそんな勢いを持つけれど、その愛はやがて速度を落として二人が刻んでいく時に、形もまた刻まれてゆく。
感情のぶつけ合いはいかにもアメリカらしくダイレクトだったけれど、刻まれた愛の深さに胸の奥深くまで染みとおるような気持ちになりました。
この二人はあと何度再会を果たすのだろうと思った終盤、ラストシーンでほんのり悲しさを感じつつも、水に描かれた波紋がゆるやかに広がり、そして静寂に戻ってゆくような心地よさを感じました。
誰かを愛するっていうのは……、多分、愛だけでなく、誰かを「思う」というのは、その人の素晴らしい部分も醜い部分も含めて全て受け入れて、始まること、かな。
何て単純で、なんて難しいことだろう。
実の親子であっても適っていない所は案外多いかもしれない。
だけど、そんな純粋な思いが芽生えたら、どれだけ幸せになるでしょうね。
それが「幸せ」なんだと思うなぁ。

出演
ノア ライアン・ゴズリング
アリー レイチェル・マクアダムス
カルフーン ジーナ・ローランズ
デューク ジェームズ・ガーナー

「万福児」 下吉田本郷(コミック) 


そのお寺には生真面目なお坊様と変てこな奥様と奇天烈なお子様が住んでおりました。とさ。
個性的なイラスト(可愛くないっすよ、冷静に見て)に癖の強いお話(ヒくかもですよ、あるいは)なのに、何故だか妙に惹きつけられるんです。
しかも、たちが悪いことに一息に引き寄せず、後からじわじわ、じわじわと時間差攻撃でやってくる。
そして持続性が高い。
むっちむちのおでぶなお子様の奇行にどうしてこうも引き寄せられるのか……と、しばし真面目に考えたのですが、ああ!(ポン)
被るんだ、自分と。(突発性ナチュラルハイテンション症候群)


……いや、多分……皆様も多少あるのではないかと……。
あってください……。

も、何も考えず読んでください。としか勧められません(笑)
(2008年2月現在、3巻まで出ていまーす。
 一話完結なのでどっからでも大丈夫)

『福寿草』 

福寿草1 福寿草2

名前は聞いたことがあったけれど、数年前までは見たことも無かった。
初めて見た時は割と唐突。
ほんのり田舎の道を歩いている時、まだ冷たい風の中、だけど太陽の光がどこか暖かいそんな日に、雪がまだ少し残っている道にぽつんと咲いていた。
影と光が混じっている中にぱぁっと灯すような明るい黄色。
春の花かぁ。
なんだか納得。
こないだ紹介した百草園の中でも見かけて、春の訪れさんと再会。
とても可愛かったけれど、不意に出会ったあの瞬間はやっぱり忘れられないなぁ。
語源は旧暦の正月を時期に咲くから、そのめでたさを取って「福寿草」だそうですよ。
花言葉は「幸福」、他「回想」とかもあるみたいで。
何にしろめでたいってことですかね。
よし、今度見かけたら額をポンと一つ叩いて「こいつぁめでたいね!」とか。

春のたぬき

「レインツリーの国」 有川浩 


人の気持ちを考える事って難しい。
想像ってなんて難しいんだろう。
どれだけ想像しても自分の枠を超えられえず独り善がりで、時にそれでぶつかってしまう。

この本の主人公達は、幼い頃に読んだ印象深い本を通して知り合います。
初めはメールを通して始まった交流、お互い会いたいと思いつつ、それでも頑なに拒む彼女と、やがて知る事実…。

知らないことってたくさんあります。
戦争の内情にしても世界経済にしても、いやいや、国内の事だって知らないことだらけ。
そんな広い所でなくても、例えば身近にいる障害者の方に関して知らないことはたくさんで。
その無知が自分の中で恐怖と捉えていることもあるわけで。
それはもう正しい、正しくないという枠を超えて、子供の頃からある思いなのです。
だけど、それはいけないと思い出したのがここ数年。
身の回りにもおらず、自分にも起こりえない世界を、恐らく脚色を多分に加えられていたとしても、こうして知ることが出来るのはありがたいな、と。
ただの机上の空論であっても、そこから進む少しの足がかりになってくれたらいいなと思いつつ。

……あー。それにしてもやっぱりこの作家さん好きだー。
メールの交換の辺り、もう、もうすごい甘酸っぱかった!
少女まんがには出す事の出来ない甘酸っぱさが広がっていて素敵だったー(きゃー)

「青空の卵」 坂木 司 


主人公の友人は引きこもり気味。
そんな友人の元へ日常のささいな謎を持ち込んで…というお話。
引きこもりの友人が、いやぁ偏屈で偏屈で(笑)
偏屈とだけいうと語弊があるかな。
生意気盛りの小学生のような感じといえばいいのかな。
それも違うか。
設定が面白そうだから読んでみたのですが、途中で驚きました。
各話の解決辺りの所で、いや、何ていうか…青年の主張、かな?
いきなり直截なことがばんっばん飛び交い出して。
物語の登場人物全員が青春の世界に入ってしまったような気がして、妙に照れくさくなりました。
あまりに主張を言わせ過ぎてしまっているような感じを受けたので、途中からもういいかなとすら思ったのですが、3話めあたりからその直接的な感じが妙にはまり出してしまって。

ふと考えてみると、今はもう直接的な表現はあまり使わないようにしています。
体裁を整えないと生きづらく、あらゆる社会の場面で「非常識」にもなりうるものなので。
だけど、もし連帯・協調・塩梅・遠慮、様々なものを置き去って、自分の気持ちを素直に表したらどうなるんでしょうか。
そう考えたら、何だかこの分かりやすい主張が心地よくすら感じてしまって、先の話についつい吸い寄せられてしまうのです。

あともう少しふざけた感想も書いていいですか?
第1話目を読み出して数ページで「もう付き合っちゃいなよ……」と呟き、その話の終わりごろには「…もう結婚しちゃいなよ…」と漏らしてました。
……あ、熱いのよ! 砂でちゃうよ!
そんな私が斜め45度にそれてるのかしら……(涙)

このシリーズはあと2冊続いているのですよね。
読んじゃおうかなぁ。

「西の魔女が死んだ」 梨木香歩 


子供の頃の思い出を何人かに聞いてみたのですよ。
仕事仲間とか、ある程度の距離感がある方々に。
思いのほか、結構皆忘れているものなんですね。
ある人は特定の一場面の他は何も覚えてないとか言って、……大丈夫かしら。
さておき、そうして比べてみると自分は結構覚えている方のようで。
何をしたか覚えているというのもあるけれど、その時にどう感じていたかとか、そういった事を覚えているのですね。
緑に包まれた林道を駆けている時の高揚感や霧に包まれた風景を眺めている時の気持ち。
親や大人からの言葉・態度への思い、葛藤。

主人公は中学生の女の子。
とても繊細な感性の持ち主で、人と人との触れ合いが少し苦手な方みたいです。
苦手というか、合わせる、協調に一つひとつ「なぜ?」と止まってしまう子かな。
でも、この気持ちって誰も一度はぶつかる壁じゃないかなぁ。
一旦止まってすぐにすんなり気にせず先に進む子もいれば、そこにずっと引っかかってしまう子もいる。
特に感受性豊かで傷つきやすい10代、情緒不安定で一つひとつに一喜一憂する年代なら、その壁がその後の人生左右する大きな壁になったりもするんじゃないかな。
物語に散りばめてある主人公の気持ちはどこか懐かしく、切なく、過去の自分と何度も出会っているような気持ちになります。
女の子が「魔女」とも呼ばれている祖母のところに行く所から物語が始まるのですが……。
あー、この「魔女」は一般的なイメージである怪しげなものではなく、えーと。
分かりやすく言うと「魔女の宅急便」のキキのお母さんみたいな感じでしょうか。
合ってるかな、これ。しかも分かりやすい…?
 …えーと。まぁ、そんな感じで。

お祖母ちゃんの暮らす世界は世俗から少し切り離されたような、イギリス辺りの田園風景を想像させる世界。
とてもシンプルな生き方で、ハーブを育ててお茶を飲み、鶏を育てて卵を頂き、野菜を育てて日々の糧を得る。
辺りに広がる野草、花、樹木、色とりどりの優しい世界と静かな空間。
文体がとても色彩豊かで、柔らかく、穏やかで、とても読みやすい優しい感じを受けます。
でもそれだけでなく、柔和な笑みと静かな声のお祖母ちゃんと、理屈でなくただ直感のままに敏感に揺れる少女、近代的な女性の母親…。
そんな女性の気持ちを直截でなく自然に読み取れる、いえ、こちらが考えることができるような文章との適度な距離感も感じられる作品でした。
何より、ずいぶん久しぶりに小さな頃の自分に再会できたのが嬉しかったな。
もう大人といわれる年齢の今の自分の視点で、たくさんのあの頃を振り返れたのは面白かった。
あー、この人も好きかも。他の本も読んでみようっと!

「母べえ」 監督:山田洋次 

お話に深く戦争が関わってくる作品です。
貧しくても心は温かく…というだけの単純な作品ではありませんでした。
(いや、単純じゃないか、むしろ一番深いところだよなぁ)
戦争をその片鱗すら体験していない私達。
無残であろう、酷かろう、惨かろうと想像をしても、それはどこかリアリティがなくて。
ふとすると、だけど心は暖かかったのでは…などと良い想像にすらしてしまうのだけれど。
こういった話に触れる度、そんな甘い想像に楔を打ち込むように「想像」を与えてくれます。

今、こうして自分達の足で立って、なに不自由なく暮らして、ご飯を食べて、働いて、疲れたーなどと言っているけれど。
戦後、戦時中、戦前、更に遡って外の国と交わる前にも日本の中で繰り広げられた戦の嵐、嵐、嵐。
潔い志も強い情熱も暗い欲望も渦巻いて、戦の中にそれぞれ様々な思惑が絡んでいたのだろうし、だけどそれを知らぬままも有無を言わせず巻き込んできた戦乱戦火の世の中がずっと続いてきて、今のこの時代があるわけで。
そうしてこの国は築き上げられてきたわけで……。
だから、こうした世界に触れると胸がぎゅっと締め付けられるのです。
この時代に甘えすぎてるなぁ、忘れすぎてるなぁと思って。

日本の女性、母親。
かつての女性達と、今を生きる女性とはやっぱり何かが絶対的に変わってしまっているのでしょうね。
時代の流れなんでしょうけれど……というか、私も当事者か。
今は男女平等、男尊女卑根絶が当然、強い女性がどんどん表舞台に立っていますね。
私も「女のくせに」とか「やっぱり女だから」とか言われると、正直にムカッときますよ。そりゃ。
でも江戸仕草の本だったり、歌舞伎だったり、あるいは戦時を生きてきた方々の話だったり。
そうした世界、話、かつての時代に触れると、ふと恥ずかしくなるのも確かなのです。
何か、根本的なものを置き去りしているような感覚。
理屈だけで走っているような感覚。
「塩梅」というものをおろそかにしている、それすらないようにしているような……。
吉永さんの演技を見ても、一歩引いて影を踏まずといった楚々とした風情の中に凛とした強さ、芯をもつ女性を感じられて、本来の日本の女性ってこういうことではないかしらとも思ったりして…。
いや、「女性」云々ということを置いておいても、少なくともほんの小さなことでも母親がただ「ぎゅっ」と抱きしめてくれる、信じてくれる、きちんと話を聞いてくれる、家族の心が繋がっている。
こうした当たり前のことが当たり前となっていた時代と、現代と、やっぱりここでも確かに変わっているんでないかなぁと感じられたりして。
価値観が天地まっさかさまにひっくり返っちゃったのかな。

あー、こんな事をぐるぐると考えてしまうので、戦争のお話は苦手です。
だけど、観て本当に良かった。
母べえの最後の台詞にぐっと心が掴まれました。
悲しくなると同時に、だけど最後に、あの時代をそう言って切り捨てた母べえの言葉に、思わぬ強さを見たような気がして。
吉永さんの温かく強い母親は本当に必見でした。
そして、よく脳みそを使うことのできた作品でした。(ふぅ~)


……あ、そういえば声優3人、知ってる人が出てました。
田中真弓さんと富沢美智恵さんと西原久美子さん。
あれ、某ゲームでの人たちでなかったっけ。
このゲームで舞台とかもやってなかったっけ。えーとえーと。
いやー、EDロールでそんなこと考えていたから、危うく滂沱の涙から救われました……(苦笑)
後で聞いたら友達が他にも一人挙げていたから、声優さん4人出ていたのかな?

『百草園』京王線・百草園駅 

百草園1 百草園2 百草園3


百草園(もぐさえん)という場所を知っていますか?
ここが一際賑わうのは梅の花がふわりとほころぶこの季節。
中に入った途端、段段になっている庭園に紅白の彩とりどりの花がふわぁっと広がっているのです。
新宿から30分、310円で着ける場所にありながらも、意外と知られていないのですよね。
自然て、別にそんな縁遠いものではないのかなぁと思い直す場所というか。

京王線の百草園駅を出ると、矢庭目の前に大きな道路。
はて、まず一度惑います。え、どっちに行けばいいの?と。
よく見れば案内があるようですが、とりあえずこっちかなと直感タイプの私はその看板を見た記憶がありません…。
道路を右に曲がって、狭い小道を入ると、うねりうねりながらの坂道、登り道。
この登った先に百草園があるのですが。
いや、この坂道! え、えらい急斜なんっすよ!
初めてこの道を歩いた時は前傾姿勢が過ぎすぎて、登りながら道路に手をつけそうになりました。
体勢分かりますか?
こう、前かがみになって前に手を伸ばすと、地面が触れる……という形。
いや、私が屈み過ぎたんですけれどね。
ていうか、斜めすぎて屈みすぎてしまうというか。
その横を、ご高齢のおじいさまがスタスタと散歩していくのです。
わっちはヒィハァ、あちらは鼻歌……といった風情で。しょ、ショック…。

さて、そんなこんなで5~10分ほどで着く名刹。入場料は300円。
入った途端に咲きほころんでいる梅の木には、俳句の札がひらりひらりと優雅に揺れています。
これは一般公募なんでしょうかねぇ?
梅の花を愛でながらその札一枚一枚をのんきに眺めていくと、厳かなものから、思わずくすりと笑ってしまう茶目っ気あるものまで。
風はまだ冷たいながらもどこかあったかで。
時折揺れる札を見ながら何とも気持ちよく空を見上げれば、ひばりがピーチク鳴いています。
そいでもってですね、その段段を上がっていくと、上でお茶や軽食が出来るようになっているのです。
この時期だけかなぁ、週末には屋台も出ているのですよ。
今も出ているかわからないのですが、ここで食べた「そば団子」がものすごい絶品!
焼きたてのあっつあつの団子を頬張れば、そばの香りがふんわりと広がって、ほくほくの触感。
だけどこの団子が優れものなのは、冷めてから食べるともっちもちと柔らかいのです。
何で? 何で冷めると柔らかくなるの…? 素朴な疑問。
一日経ったらどうなるだろうと実験したくなるのですが、一日もちません。食べちゃうや…。
茶屋の上にも登っていくと、今度は大きな大きな木が庭園を包み込むように枝葉を広げているのです。
スダジイかなぁ?
木のそばって、どうしてあんなに落ち着くのでしょうかね?
ここからの眺めを達者に描く方々もいたりなどして…つい覗かせて頂いたりなどして。
そんなこんなで楽しんでから、また百草園駅…と行くのもいいのですが、私がいつもしてしまうのはここから聖蹟桜ヶ丘まで歩いてしまうのですね。
田園風景を楽しみつつ、てくてく、てくてくと歩いていくと、わりとすぐに着いてしまうのですよ。
途中にお地蔵様があったりして。

梅の花が最も盛りで楽しめるのは2月下旬から3月の上旬頃かなぁ?
でも早咲きの種から遅咲きまで揃えて植わっているので、2月から3月中旬頃までは楽しめると思いますよ~。
たまには良いではないですか。
普段の喧騒を置いてけぼりにして、鳥の声が聞こえるようなところに行っても。
梅の香に包まれながら何が見えたか、今度教えて下さい♪

「阪急電車」 有川浩 



実は大阪という場所には一度も訪れた事がありません。
大阪の人は周りに多いのですが、その場所というものは想像がつかない世界です。
どんなところだろう? やっぱり元気がいい人ばかりなのかな?
ノリ突っ込み(ていうの?)が基本? お笑い遺伝子? 冗談ばりばり?
陽気なイメージばかりですが、実際どうかというと、はて、はて、はて?
そんなところ、この本に出会いました。ハードカバーです。高いです。(笑)
でも、本屋で3度ほど迷い、ぱらりとページを捲っては衝動と戦い……買ってしまいました。

阪急電車というのは短い路線のようですよ。
そのうちの一つひとつの駅名が章タイトルになり、お話ごとに主人公となる乗客がころりころりと変わります。
ごくありふれた車内の風景で不意に繋がる縁、見えないまま交錯する思い……。
お話の中心となるのは大学学生から受験生、美人OLやおばあさんなど、色々な視点のお話が広がります。
本の前半が往路、後半が復路で、往路から半年経ってからのお話。
全体がほんわり暖かい空気が漂って、文体もとても丁寧で優しい感じを受けるのでとても読みやすい。
その中で、一期一会や繋がる絆を自然な流れで描いてある。
参った、困った……この作家さん、好きになっちゃうかもしれない!(困ったは照れ隠しね)
好きだなぁ、こういう温かい話を書ける人。何より人の気持ちを独り善がりでなくきちんと汲んで描く人。
何より、話が綺麗だけで収まらず、きちんと人のどろりと醜い部分。
誰もが目を背けたい、いつもは見ないふりしている部分に焦点をあてて、きちんと向き合っているのがいい。
これは……本棚に入れてしまう本でした。
いいな。有川さん!

過渡期 

数年前から過渡期に入りました。

私の人生には色々な転換期があって、そこで自分がどんな選択をしたか、またそこで道は私を導いてくれたか……転轍機がひとつひとつ切り替わるように、じぐざぐに進んで今になっているのだけれど。
仕事を始めて、最初の職場でどうにもならないというか、出来ない、というか……自分の壁にぶち当たって、悩んで苦しんでどつぼにはまって、そこから出た。
開放感。解放感。だけど。
そこからの空白期間にそれまでぶち当たっていた壁が、心底自分が作り出したものであり、自分の中にこびりついた内面であることに、そしてそれはとてもどろどろと醜く、根本的にどうしようもない醜悪な部分であり、だからといって悪いというわけでもない理不尽なものであるということに、気づいた。
気づく事ができた。
それからまた色々な場を巡るうち、過去の自分を省みたり、内面を見せられたり、そうしてそうして、その壁にぶち当たってから今に至るまで、めまぐるしい環境の変化を経ながら、少しずつ前に踏み出している。

そして今。
また更に踏み出そうとしているのは、一番大きな決断。

それまで「確かなもの」と信じていた、信じたかった、信じたがっていた、濃い太い繋がり、忌まわしいほどに絡み付いてきさえくるそれを、絶つこと。
確かな足場を、自分で決めて、発つこと。
今度こそは、本当に、本当に一人で立つこと。

まずは足場を自分で作り上げなくちゃと、右往左往しながらも、これまで築き上げた足場を未練たらしく振り返り、絆を不安に見回し、躊躇いに少し、足が竦む。
弱気になってはいけない。勢いのままに突き進め。
弱気になれば迷いが出る。迷いが出れば邪魔が入る。邪魔が入れば道は作れない。
怯えるのは向こうに定まってからでいい。悩めばいい、苦しめばいい。
だけど、今は何はともあれ、全て置いておいて、勢いのままに突き進め。

そんな葛藤をたくさん経ている最近です。
そうね、私がしようとしている決断はそれ自体が大きいけれど、その物事自体は一つのプロセスだけであって、でもその裏にいくつもが絡んでいる。
いつか落ち着いた時に、この勢いと不安と躊躇とがむしゃらを振り返りたいなぁと思ったから、独り言をつらつら徒然、書き綴ってみました。

はじまり 

何かを始めるには、それだけのエネルギーがいる。勢いがいる。
ただ、がむしゃらに、突き進む。
始めてから、迷ったり、悩んだり、後悔したり、そんなことは、
こうしてモニターを通した世界でも、現実の世界でもたくさん転がっているわけで。
だから、今、私がこうして始めようとしている事も、それからそのきっかけとなっていることも、
たくさん転がっている中の、ちいさな、ちいさな一つ。
これからちょこちょこ綴っていくつもりのことも小さな一つの集合体。
モニターを通した不自由な世界に、
私という器の中のほんのわずかな一部を切り張りした、
ただの集合体に過ぎないのです。

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